「政治の責任とは ~青葉の季節に想う~」
戦争の世紀と言われた20世紀が終わって十余年、世界は漸く安定期に入ったと思っていたが、中国は南シナ海で、ロシアはウクライナで覇権争いに血眼になっており、中東情勢も緊迫している。国際秩序は依然として不安定なままである。
こうした大国の動きを横目に我が国の外交は、まるで天竜の川くだりのように舳先に立って棹を握り、揺れる小船を操っている感がある。乗っている客も気が気ではないが、今のところ、船頭たる安倍政権は激流の中で健闘している。
IT化と交通手段の飛躍的な進歩によって情報は満ち溢れ、現代の時計の針は明らかに進み方が速い。余程シャープに判断して迅速に行動しなければ、刻々と変化する世の動きに着いていけない。時流をリードすべき政治にあっては尚更であろう。
政治が求めるのは理想のみではない。住民福祉の道筋を示し、具体的に実現しなければならない。ドイツの社会学者マックス・ウエーバーは、政治家の資質として、情熱、責任感、判断力が必要であると説いた。政治とは、「情熱と判断力を同時に用いて、堅い板に力をこめてだんだんと穴をくりぬいていく作業」だと述べている。
至言である。地域の明日を切り拓くために何をなすべきかを的確に判断し、熱い想いをもって明日への基盤づくりを進めるのが政治の責任である。国民の財を蓄積して成長につなげる最適の政策選択を行い、汗をかかなければならない。
バブル崩壊と1990年代の「失われた10年」においては、政府も地方自治体も方向性を見失った。公共事業が抑制され、現在ではピーク時の4割近くにまで落ち込んでいる。高速道路、新幹線、橋などの公共インフラは、モノ、人、情報を運び、経済活動をスムーズにする。国民の生活を豊かにする装置であることを忘れてはならない。
地域再生のためには、2020年を目標にする方策もある。東京オリンピックは戦後75年という節目である。世界中の耳目を集め、インバウンド観光の契機にもなるだろう。単発のイベントではなく、国際的な交流のステージであり経済循環を促す起爆剤なのである。その意味で、国や東京都だけの課題ではない。社会基盤を再整備して内政全般の立て直しにつなげなければ、永久に地方復権のチャンスは失われるであろう。
知事も市長も、羹に懲りて膾を吹くように、公共事業の推進に消極的である。財政の窮乏を理由に何も為さないのでは政治は必要ない。厳しい冬の時代だからこそ、収穫の秋に向けた努力が問われよう。オリンピックは平和の祭典でもある。被爆地広島の復興の総決算としても、どんな投資ができるかを見極めた政策展開が必要である。
青葉の季節を迎え、政局を憂いながらも、暖かい日差しの中で郷土の明日に想いを馳せている。
2014年6月3日